朝ぼらけの夢物語
[1.日々]
「行ってきます。」
誰もいない木材で囲まれた空間に私はそう言い、昔からの相棒である自転車に跨った。
辺りが日光を漸く受け取る頃、今日も私は意味もなく空気を斬る。
周りには森、川、田んぼ、それから…
いや、この辺はなんにもない。
田んぼ道を走りながら、ただただその汚れのない自然を吸い、眺めるのが好きだった。
風と共に走って20分。
私は一旦休憩することにした。
地を突っつく小さな鳥さんたちを眺めながら、逃げてしまわないようにと自転車を止め、切り株に腰を下ろす。
この切り株はなんで切られちゃったんだろう。
可哀想に。
そんな風にぼんやりと考えていると、急に鳥さんたちが焦るように羽ばたいた。
何かが凄いスピードで来る。
「おはよう香澄。今日はいつもより少し早いな。」
また佑輝だ。
最近は同じ毎日で、なんだかんだこいつと会わない日はない。
佑輝は私の家から一番近いところに住んでる友達。
っていっても2kmくらいは離れてるけど。
「何?朝から騒がしくして。鳥さんたち怖がってたじゃない。」
「いや、そんなに騒いでないだろ俺。まぁでも、ごめんな。」
佑輝は動きこそ落ち着きがないが、話すと意外と静かで優しくていい奴だ。
「なぁ俺、面白い話聞いたんだけどお前も知りたいか?」
[2.ひととき]
久しぶりに佑輝の目に輝きを見た気がする。
私は持ってきた大きめのおにぎりを食べながらはいはい答えた。
佑輝は人差し指の先端を少し遠くの山に向けた。
「あの山のテッペンに、神社の跡があるらしいんだけど、なんでも朝6時に行くと山があくびをして『おはよう』って言うんだってさ!」
私も佑輝も、随分とピュアなんだな。
私はいいんじゃない?と答えて薄く笑った。
「よっしゃ、んじゃあ明日の朝5時、あの山の麓の落石注意の看板のとこ集合でいいか?」
もっとマシな場所はなかったのだろうか。
まあいいけど。
佑輝は私の返事を聞くと満面の笑みで帰っていった。
今日はそれだけ言いに来たのか。全くバカだなあ。
少し寂しい気もしたが、すぐに馬鹿馬鹿しいという言葉で誤魔化した。
おにぎりを食べ終えた私は、戻ってきた鳥さんたちを眺めて何故かホッとし、目を閉じて自然を聴きながらぼーっとした。
至福のひととき。
[3.水]
水が私の頬を滴ったので目を覚ました。
寝てしまっていたみたいだ。
最近は昼夜が逆転しかけてるからやばい。
水は次々と私を目掛けて空から突撃してくる。
雨か…。
滑って危ないし、自転車は押して帰るとしよう。
私は雨も好きだった。
小さい頃は雨が降るといつも外で走り回って親に叱られたっけな。
…そういえばこの自転車に名前もつけてくれた。
〝キンセンカ号〟
昔庭に咲いていた花からとった名前。
雨は私にとって、懐かしい"記憶"なのかもしれない。
気づけば雨は止み、ずぶ濡れになった服ももうじき乾くといった頃だった。
しかし不思議にも私の頬は濡れゆく一方。
家に着くと私はキンセンカ号を屋根の下に入れ、タオルで拭いた。
それから家に入ってシャワーを浴びた。
時計を見れば16時。もうこんな時間か。
お腹が空いた。私はまた大きなおにぎりを握って頬張った。
疲れたし暖房器具をつけるのも面倒でいたのだが、何故か体が熱いまま。
もしやと思い、結構前に使ったっきりの体温計を取り出して使ってみた。
やっぱり。38.2℃。
明日の約束どうしよう。バックレるなんてことは出来やしないし連絡手段もない。
私は漸く暖房をつけ、頭を冷やしながら横になった。
寝れば良くなる、かな。
[4.静かな夜の熱]
目を閉じ、少しずつ強くなる雨音を楽しんだ。
時計を見れば夜10時。
少しは眠れたと思うが、多分あまり眠れなかった。
約束をバックレるか、正直少し迷う。
まだ雨は降っているが、もしこのまま止まなかったら佑輝はどうするんだろう。
無理して来るかも。
やっぱり行くしかない。
とはいえ恐らく今からじゃ寝ることも出来ないだろうし、眠りにつけたところで朝5時までに起きることは出来ないだろう。
体調も良くなってきたことだし、寝ないで行くか。
私は額を冷やしながら準備を始めようと立ち上がった。
しかし、よくよく考えてみれば何を持っていけばいいのだろう。
熊除けの鈴と絆創膏と、おにぎりと飲み物くらいかな。
少しの間考えたがそれ以上は思いつかなかったので、椅子に座って近くにあった絵本をなんとなく手に取ってみた。
"おそらのおほしさまたちは、だれかがこわがらないようにキラキラとこもりうたをうたっています。あやとりをしてたのしませてくれます。ほら、おそらをみて!"
このページの絵が昔からとても好きだった。
黒の中に淡い黄色をした妖精たちが笑っている。
私はふと家の窓から空を見上げてみたが、雨雲で覆われた夜空には何もなかった。
さて、何もすることがなくなった。
んー。絵でも描いて時間を潰すとしよう。
[5.明けやしない濃霧]
気づけば雨も止み、時間は4時半。
そろそろ家を出なきゃな。
私はいつもと同じように大きなおにぎりを握って、水筒に水を汲み鞄に入れた。
「行ってきます。」
誰もいない木材で囲まれた空間に私はそう言い、ドアを開けた。
外は何も見えなかった。
珍しいほどの濃霧だ。
私は構わずキンセンカ号に跨り、昨日佑輝が言っていた集合場所へ向かって進んだ。
20m程先は真っ暗で、まるで自分の周りにしか世界がないみたい。
危ないのでゆっくりと記憶を手探りに先へ進む。
道端にはこんな状況でも色がわかるほど鮮やかな花がちょこちょこと咲き、目の前には野鳥の大きな影が通る。
昨日までとは違う世界に来てしまったのだろうか。
もしや自分はあの熱で苦しむことなく死んだのだろうか。
そんなことも考えてはみたが、そんなワケない。
そんなことを考えていたものだから、気づけば目的地は既に目の前にあった。
佑輝はまだ来ていないみたいだ。
小さな街灯に照らされて佇むボロい小屋にキンセンカ号を止め、服についた水滴を拭う。
佑輝も早く来ないかなぁ。
[6.水路 隣]
一旦小屋から出て、すぐ近くに流れている小さな水路脇に身を屈めた。
いろいろ流れている。
多くは枯れ葉だか、ちょくちょく虫の死骸が流れていたり、あめんぼがいたり。
神様からすれば、私達の世界もこんなふうに見えているのかもな。
反射して映った私の顔の傍に何かが映った。
佑輝も到着したようだ。
「もう、少し遅いんじゃない?」
「へへ、悪い悪い。でもお前昨日朝から騒がしくするなって言ってたじゃん。だから静かに来たんだよ。」
揚げ足を取られたが何故か少しも悪い気はしなかった。
寧ろちょっと嬉しかったかも。
「あれ、お前チャリどうした?」
「あの小屋に止めたよ。どうせもう誰も使ってないでしょ。」
「そうだな。」
佑輝は私のキンセンカ号のすぐ横に自転車を止めた。
「よし、そんじゃ早く登ろうぜ!」
「でも佑輝、ちゃんと登り方分かるのよね?」
「いや、知らん。でもなんとなく行けるだろ!」
不安でしかなかったがやっぱり少し嬉しかった。
[7.慣れの奥]
とりあえず私達はがむしゃらに登ることにした。
絆創膏も持ってきたし、躊躇なく草葉をかき分けながら奥へ進む。
「ねぇ佑輝、ちょっと早いよ。」
「ん、ごめんごめん。疲れたか?」
「大丈夫。少し早かっただけ。」
そう言い終わるか終わらないかの所で横から何かが飛んできた。
思わず私は横向きに崩れてしまい、足元には大きいバッタがいた。
思わず叫んだ。
虫は昔からダメだったが、こんな所に住んでいるので自然と慣れていた。
しかしあまりの大きさに、防衛本能が働いたのだ。
すぐに佑輝が払い退けてくれて助かった。
「ありがとう、」
「お前、虫ダメなんだっけ?」
「うん、実はね…」
季節は春先。虫たちからすれば楽しい時期の始まりのようだ。
「お前、虫がダメなんじゃ山登りなんて無理だぞ。」
佑輝は悪戯にそう言って笑う。
「うるさい…。」
こんな会話をしながらも山を登る。
多分20分くらいは登ったと思う。
山の中は更に荒々しくなり、佑輝はとうとう怪我をしたらしい。
私は絆創膏を渡そうとしたが、強がってるのか知らないが絆創膏はいらないとか言う。
無理しなきゃいいのに。
これも慣れなのかな…。
[8.まだ]
まずい、恐らくあと30分ほどで頂上の神社跡に到着しなければならない。
「ねぇ佑輝、これ本当に着くの?」
「ああ、多分大丈夫だ。日の出には間に合うだろ。」
私は正直かなり疲れたが、足手纏いなんてごめんだ。
前も後ろも、右も左も見えない。霧が深すぎる。まだ日も登らず不安ばかりだ。
「あれ、変な小屋があるぞ…?」
麓の自転車を置いた小屋と似た形状をした小屋だった。
麓の小屋とは違い街灯がなかったため不気味な雰囲気を醸し出しているが、疲れた私はその小屋に寄りかかり、水筒に口をつけ真っ逆さまにした。
「ねぇ佑輝、神社跡って、これ?」
「んー、いや多分違う。鳥居がまだあるって爺ちゃんが言ってたからな。それに多分まだここテッペンじゃないぞ。」
鳥居なんてなさそうだ。
えー、まだ登るの…?佑輝、おんぶでもしてくれないかなぁ。
佑輝はそんな私の心の声に気づかず、行くぞと言ってまた登り始めた。
全く、あり得ない。別に嫌な気にはならないけど。
やれやれ、ついて行くか。そうじゃ無いとまた虫が…ヒィーッ…!
[9.相乗鼓動]
まずい、そろそろ限界だ。
「ねぇ、ねぇってば!」
「ん?なんだどうした?」
「私やばいかも。クラクラする。実は昨日から熱があって…。」
「は!?お前なんでそんな状態で来たんだよ…。俺なんかほっといて家で休んでた方がよかったのに!」
嬉しいような寂しいような。
「でも、佑輝との約束、破りたくなかった。」
「ありがとな。いいから休むぞ。水は足りてるか?」
佑輝は透かさずその手を私の額に当て驚いていた。
「お前…、もうダメだ。今日はここまで!こんな熱でこれ以上登ったら危ない。小屋で休んで明るくなったら下りるぞ。」
「ううん、もう少しだけ行ってみたい。何かあるよ絶対。せっかく頑張ったんだし。」
「うーん…。わかった、でも少しだぞ?やばくなったらおんぶして小屋まで運んでやるから。」
私の心臓は熱とそれとの相乗でとんでもない速さで働いた。
いや、やっぱり熱だけのせいにしておく。
[10.追々]
少し登ると後はもう登る所は無さそうだった。
「ここがテッペン…?何かありそうか?」
「いいえ、何もない。やっぱり何もないのかなぁ。」
「んー…。もしかするとあの小屋がやっぱりそうかもな。」
そんな会話をしていると、少しずつ辺りが明るくなってきたことに気がついた。
「ねぇ佑輝、そろそろ日の出よ。大丈夫なの?」
「んなこと言われても…霧でなんも見えねぇよ。爺ちゃんはテッペンっつったんだから信じるしかねぇ。」
佑輝はそこでただ立っている。信じて空を見てる。
どこまでピュアなのかしら。
付近の樹々は光を受け取り始め、霧の中で追々色づいて行く。
あーあ、日の出だ。
辺りからは少しずつ囀りや咆哮が聞こえ出し、虫の音も草花の音も更に強く聞こえ始めた。
それらは追々大きさを増し、追々明るいものになっていく。
さっきまでの霧も追々薄くなり少し遠くにも世界が続いているを黙認できるくらいにはなった。
多分霧は追々消えていくのだろう。私は霧の深い世界に少し悲しさを感じた。
これまた追々。
[11.目覚め]
私の思っていた多くの"追々"達の一部は、ものすごい勢いで加速した。
囀り、咆哮、虫の音、草葉の音。
それらはもう随分と大きなものになったが、そのひとつひとつは小さなものが出している音だ。
そのひとつひとつが聞き取れる程透き通って感じた。
佑輝の隣で私も同じ方向を見ながら立った。
「ねぇ佑輝、この音達が"山のあくび"って言われてるのかもね。他の時間帯じゃ聞こえないよ。」
眠気と体調のせいで頭が働かず、自分でも何を言っているのかわからなかった。
しかし自分でも妙に納得できた。
佑輝は何も言わずただただその目を輝かせていた。
途端に霧が晴れた。
と同時に視界に入ったのは、淡い空色の中に鎮座するまんまるな太陽だった。
多分私達の知らない霧の向こうで、この太陽も追々大きくなったのだろう。
2人は思わず息を呑んだ。
少し間をおいて佑輝は口を開いた。
「香澄、これが山の目覚め?」
「うん。」
体調が悪いのも忘れて、佑輝と暫く立ち尽くした。
[12.目眩]
佑輝はぼんやりと言った。
「来れてよかった。」
これ程に輝きを纏っている佑輝の目は初めて見た。
いつもの佑輝じゃないみたい。
佑輝は暫くしてスッといつもの佑輝に戻った。
「さぁそろそろ帰るか。お前も体調悪いんだし。」
私はまだ太陽を見ていた。
囀りも咆哮も、虫の音も草葉の音も落ち着いたみたいだが、私の耳には尚響いて感じた。
「この太陽が、山の言う『おはよう』なのかな。」
咄嗟に出た言葉に私は自分で驚きながらも、何もなかったように繕った。
佑輝を見て、笑いながらもう一度口を開いた。
「なんだよ〜、てっきり山が本当に『おはよう』って言うと思ってた〜。」
佑輝は背中を私に向け、おはようと嘯いた。
しかしその口は動いていないように見えた。
「ちょっと佑輝、揶揄わないでよ〜。」
言い終えた直後、地面が大きく揺れた。
思わず尻餅をついた私だが、佑輝は苦労もなさそうに立っている。
分かった。揺れたのではなく目眩だ。
「おいおい、大丈夫かよ!無理しすぎだって!」
佑輝が駆け寄ってくる。
瞬く間に私は意識を失った。
[13.木漏れ日の小屋]
目を覚ますと小屋にいた。
てか佑輝、顔近い…。
「目覚めたか?大丈夫か?」
「あ、うん。小屋…?」
「ああ、運んだんだよ俺が。急に倒れたもんだから泣きそうになったわ。」
「あ、ありがとう。」
佑輝はお腹が空いたらしく、軽く笑いながら腹を慣らした。
私はお礼も兼ねて、何も持ってこなかった佑輝におにぎりを半分あげ、2人で休憩することにした。
日の出前の不気味な雰囲気とは打って変わって大きな包容力のようなものを感じた気がした。
気のせいかもしれないけど、それはそれでいい。とにかく居心地が良かった。
おにぎりを食べ終わらせた私は、まだ食べている佑輝を眺めながら、体調が悪いのを口実に横になった。
「またちょっと寝て休むね。」
「大丈夫か?体調悪いしその方がいいかもな。」
まぁ私は眠れるわけもなく、眠ろうとしたわけでもなかった。
もうちょっとこの小屋に居たかった。
人生で一番木漏れ日が暖かく感じた。
今は辺りは静けさの方が目立つ。
[14.下山]
私は少し時間を過ごした後、嘘寝にまんまと騙されている佑輝に申し訳なく感じてきて、話しかけてみた。
至って自然に。
「うぅ…。そろそろ帰らなきゃマズい…?」
「お、起きたか。もう休まなくていいのか?」
「うん、もう大丈夫だよ。」
2人は山を下ることにした。
太陽がちょうど真上から2人を照らし、影が最も少ない時間帯だった。
霧がかっていた時間帯とはまるで違う。
「あれ、これ方向あってるよな…?」
なんとか下りきることに成功したものの、何処だ此処。
暫く風景を頼りに歩いて行くと、日の出前にキンセンカ号を止めた小屋を発見した。
それは少し綺麗に見えた。
「ねぇねぇ…、あの小屋なんか違くない…?」
間違えた方向に来ちゃった…?
景色も違った気がしたので私は一瞬そう思ったが、近くにはあの水路もあった。
「ごめんごめん、やっぱりなんでもない。」
小屋はやはり夜明け前よりも綺麗になったように見えた気がしたが、そんなことよりとうとうまたすることのない日常に戻ってしまうという寂しさが込み上げてきた。
[15.感覚]
「ねぇ佑輝。」
「なんだ?」
私はすぐそこまで出かけていた言葉をすぐに引っ込め、帰ろうとした。
そういえば…
「ねぇ、そういえば私が倒れる前。佑輝おはようって言ったよね?腹話術の練習でもしてるの?」
ただ思い出したから聞いてみただけ。ぶっちゃけなんでも良かった。
「は?何言ってんだ?俺は何も言った覚えねぇぞ…?」
佑輝は口角が上がっていたが、どこか引き攣った上がり方に見えた。
「え…?」
これでもかという程間の抜けた声が出た。
予想外だ。ちょっと巫山戯てみただけとでも言うと思った。
ちょっと待て。じゃあ私が聞いたのは…?
「聞き間違いじゃね?俺には聞こえなかったぞ〜。」
ひとまず笑って誤魔化したが、真相は定かではない。
下山に意外と時間がかかったようで、日も暮れてきた。2人は疲れもあり、早めに帰ることにした。と言っても途中まで道は同じ。
お互い無口だがそこまで気まずくなかった。
囀り、咆哮、虫の音、草葉の音。
私はその全てに新鮮味を覚えながら、赤く染まりゆく空を見ては自転車を漕いだ。
風は生温くも優しく私の袖、頬、額を撫でて通り過ぎて行く。
[16.元通り]
あの声の正体が気になって仕方がない。
どっちにしろ嬉しいが、兎に角気になる。
佑輝と私の帰り道。ここからは別々になる。
おっとっと…!
深く考え事をしながら自転車を漕ぐ時は決まってそうだ。コケる。
今日も小石を弾きながら綺麗に転んだ。
「おいおい大丈夫か。やっぱりまだ体調良くないんだろ。」
「ううん、疲れただけだよ。」
「あーあ、膝擦りむいてんじゃん。ほら、動くな。」
佑輝は何も持ってきていないと思ってた。
手ぶらだと思ってた。
しかし右のポッケに手を突っ込んで何かを探してる。
絆創膏だ。なんだ、ちゃんと持ってんじゃん。
佑輝は何も言わずにそれを私の膝に貼ってくれた。
「本当に体調は大丈夫なんだな?」
私が立ち上がるのを見て、佑輝はまたなと言って漕いで行った。
にしても自転車漕ぐの速っ。
私はキンセンカ号を丁寧に起こして、漕ぎはじめた。
あーあ、これでまたひとりの生活か。
ひとり田んぼ道。空には月と夕日、大きな雲が同時に見え、赤と青、白と黒が同時に見えた。
綺麗と同時に恐ろしささえ感じた。
[17.夢に見る]
家に着くと私はキンセンカ号を屋根の下に入れ、タオルで拭いた。
転んでしまったからいつもよりも念入りに吹いてあげた。
それから家に入ってシャワーを浴びた。
時計を見れば18時。もうこんな時間か。
お腹が空いた。私はまた大きなおにぎりを握って頬張った。
疲れたし暖房器具をつけるのも面倒でいたのだが、何故か体が熱いまま。
またかと思い、机の上に置きっぱなしにしていた体温計を脇に挟んだが、36.4℃。
あれ、平熱…。
私はかなり疲れたので、そのまま机に突っ伏して目を瞑った。
心地いい陽の光、風、音、香りを夢に見た。
机の中心に飾られたキンセンカの花と共に。
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